Prajna/りびんぐ - すけーぷ

お気に入り、世の中に埋もれているモノと私の記録。

タグ:銀座

銀座、

昔、1932年に
祖父が立っていた街角。


私を知らない祖父が、
私を抱いてない祖父が、

和光の四つ角に佇み、
時計台を見上げていた場所。


孝太郎さんが、

歌舞伎座に出演する役者さんたちが、
日々通い、日々見つめてきた街。









仕事で行きました、銀座の街。

三越、阪急、松坂屋、松屋。
新宿から通いました!


私が、知らない明治生まれの祖父を
感じに行った場所。まだ静かな朝
9時過ぎの晴海通り。


どこもかしこも開店前で、静かに
佇む街が、昨夜の余韻にいて微笑む。

シャッターが閉じられ、開けられて
いく。カラスがゴミ箱を漁る気配と
太陽の日差しに眩しげに笑うマネキン。


誇らしげに掲げる看板たち。おはよう!

そんな朝の銀座に、足を運んだ私には
銀座の街は、寝起き前か寝静まる時の
佇まい。


閉店時間を過ぎて、シャッターやドアを
閉めた店やショーウィンドウに、何だか
眠たげな銀座が、「おやすみなさい」と
言っていた。

寝ている街の小さな明かりを頼りに
駅に向かう。「か~えろっ」と地下鉄に
向かう。私には「おやすみなさい」な街。


おじいちゃん、「また明日!」って。
銀座4丁目にいた(はずの)祖父を探す。


蝶ネクタイをし、「服部時計店」にいた
祖父を探す。おじいちゃんのいた銀座は
8時を過ぎて、眠りにつく‥‥。


父の好きな「木村屋」のあんぱんは、
買えない。父がいないから。お店は
シャッターの中。昭和と平成の銀座。

おやすみなさい。




📆杼絽



mixiチェック

DSC_1393





『上にまいります』
『下にまいります』


忘れていたよね。デパートの中にある
不思議なモノや、不思議な世界!



『いかがなさいましたか?』
へっ?

『よろしかったら、おめしになってみませんか』
ああ、

『サイズ、お探ししましょうか?』
はい、

『ありがとうございました』
『またどうぞ、お越し下さいませ』
あ、はい。ありがとう!



ある日の、日本のデパートの
お客様がいる場所での会話。


知りたくなったら、うろつくべし!

買いたくなくても、通ってみるべし。
退屈したら、遊びに通ってみるべし。

寂しくなったら、店員に弄られに
行くべし。


『いらっしゃいませ』…。

100人に言われたくなったら、朝イチ
開店と同時に入店し、店員スマイルの
洗礼を受けるべし。


『お子さまランチ』食べたくなったら、
誰かの子供と、食堂に通ってみるべし!


いやいや、大人だって注文出来るんだよ。
味を知りたい、とか何とか言って頼んで
みるの。『孫に作ってやりたいから』とか

『子供時代にアレルギーで食べれてない』
とか何とか言い訳し、頼んでみるべし。


デパートなら、子供時代に出来なかった
ことをやりに行ける。屋上に行ったり?

おもちゃ売場に行くべし。買いたいからと
だだをこね、ママに叱られないから大丈夫!


見たくなる、買いたくなる。だけどね、
おもちゃは待っててくれる。お金さえ
あれば、買えるんだから!?


布団も、カーテンも、絨毯も高いけど?
買いました。昔ね、みんな『伊勢丹』で
買いました。新宿育ちなの。


だからね、新宿歌舞伎町育ちだから
日曜日は、歩いて行くんだよね。

1年生になる前に、幼稚園時代に通った。
歩いて、ほんとに職安通り近辺から1人で
歩いて、通ったの。公園みたいに遊びに!


遊びに行くの。誰も気にしないのよ。
1人で子供が遊んでいても、1人で
伊勢丹にいても、販売員は気にしないの。

伊勢丹て、鈍いのかな。迷子だなんて
思わない。迷子になったりしないし!?


歌舞伎町から歩いて通ってた(笑)。

幼稚園児なの。4歳児だよ!
私、1人で歩いて行っちゃうの。


伊勢丹、バカだよね。私には気づかない。
4歳なのに、気にしないのよね。いつも。

『お母さんは?』とか、『誰ときたの?』
とか、『迷子になっちゃった?』とか
普通は、聞きますよ。


私の場合は、聞くのよ。ちっちゃい子
見たら、『1人? ママは? 誰ときたの?』
必ず聞きますよ。『お名前は何というの?』

私なら、『教えない!』『あなただあれ?』
『伊勢丹の社員?』『働いてるの?』と
聞き返す。『住所は?』『楽しい?』と、
必ず聞きますよ。


自分は、伊勢丹のご贔屓さんだと思ってる
から。働く人には、きちんと挨拶してる。

『私、1人で来てるけど大丈夫だよ』と
言うはずだから……。




_20180227_105540
2000年版/ミリオンマップ参照




私がどこにいたか…。
歌舞伎町2丁目ですが…。


職安通りの近く。どこに暮らしてたか?
ガソリンスタンドがあった近く…。

伊勢丹まで、3~4歳から通ってた。
1人でだよ。1人で通ってるんだよ!


親は、公園か鬼王神社だと思ってた…。

親は、石川家の、治療院が経営していた
ビジネス旅館には行った、と思っていた
のよね。ところが、伊勢丹なんだな。


私の、私らしさは?

『歌舞伎町育ち』らしく生きれていた、
その日常。区役所通りを、明治通りを
歩いて、新宿を満喫していた昭和40年代。


あなたは、だあれ?

みんなに聞いた子供が、私だった…。


因みに、私が、山本達彦なんて名前に
なっていない変なお兄ちゃんに知りあい

繋がっていたらしい場所は、鬼王神社!


山本達彦ちゃんの幼なじみの下村議員は、
職安通りの歌舞伎町郵便局の人なんだわ。


伊勢丹の配送センター隣で赤ちゃん時代
を過ごし、治療院は大久保病院前にあり、

3~4歳は(職安通り)山野愛子先生宅から
近い場所にいた。そんな幼少時代でした!


デパートは、遊びに通う場所だったんだね。
そんな伊勢丹で、色んな思い出を作って
新宿には居ない、そんな私がいる!?



📿 鈴木宏枝


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


mixiチェック

母が永山に買い物に行き、おやつを
買ってきた。むしケーキだ。久々!




image




さくらの香りがする。むしケーキは、
木村屋の商品。春限定なんだね。

美味しかったよ。



bd129f29.jpg



72ceec42.jpg





コーヒーと頂きました!


朝食兼お昼が早いので、おやつを
頂きました。ご馳走さまでしたー。


母は、自分の母親に似ていて歩きたがる。


祖母に似ていて、買い物に行き
歩こうとしている。


歩数計を見ることが好きなのか?
歩数計に、毎日歩数が出るのを
自分なりに、楽しんでいる…。


帰宅すると、今日は何歩だったか
報告し、楽しげである。祖母に似て
フットワークがいいのか、歩きたがる。


祖母は、ゴルフ場でグリーンの整備を
して、働いていたから歩くのは好きだ。


母は、歌舞伎町でマッサージ師をして
いた為に、やはり新宿区内を縦横無尽に
歩き、真夜中に働きながら、白衣を着て

歌舞伎町を歩いていた。その為に、元気だと
出かけ歩こうとする。春になると歩く機会が
増えるようだ。母は、最近元気らしい…。


昨夜は、体調不良になった私に
マッサージをしてくれた。母は
元気になってきたみたいだ!?


いつまで身体がもつのかな?
78歳になったばかりの母が、目指すは

日本で開催するオリンピックみたい。


「いつまで生きれると思う?」と
質問すると、「あと10年は大丈夫!」
と、必ず答える。私が大変な気がする。



補足をすると、

木村屋さんは銀座4丁目にある。


鈴木家の祖父が、戦前、服部時計店の店長
をしていた(1932年~)。その服部時計店
隣に木村屋は在る。


山野楽器と服部時計店に挟まれているのが、
木村屋本店である。銀座4丁目である。


父は、「あんぱん」が好物だった!


つまり、祖父が「服部時計店」勤務をして
いた時代に、父の少年期。祖父が父たちに
銀座で、木村屋のあんぱんを買っていた。


それが、父たちの「あずき好き」になった
ということらしい。父と角松敏生の父親は

祖父が食べさせた「木村屋のあんぱん」に
魅せられ、2人でお風呂屋さんの帰りに
お腹がすくと、新宿であんぱんを買って
おやつに食べていたと言うが(笑)。


服部時計店に勤務していた、鈴木家の祖父。

その祖父と繋がり、明治天皇お気に入りの
木村屋のあんぱん。不思議な繋がりである。


木村屋のあんぱんは、梅酢につけた桜を
あんぱんのおへそに乗せている。


木村屋の銀座本店の看板は、あんぱんだ!

祖父がいた銀座4丁目には、あんぱんが
和光隣にある。山野楽器はドーナツ盤?

時計も丸い。あんぱんも丸い。レコードも
丸い。日の丸が並んでるみたいなんだね。
銀座4丁目の摩訶不思議?


日産自動車のタイヤも丸い。日の丸だ!
日本は、丸く丸く生きていたんだね(笑)。

父は、本名が「福丸」だった。祖父の
イタズラみたいである…。



店舗詳細 銀座木村家(銀座本店)
🍞あんぱんなら木村屋總本店 (銀座本店)


🌸銀座 木村屋總本店オンラインショップ



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


mixiチェック





1932年6月10日。

『時の記念日』が制定された年。


銀座4丁目交差点に、『服部時計店』が
時計塔と共に、創建された。鈴木家の
象徴とされた時計塔は、祖父の仕事場!


『服部時計店』が、銀座の街に店を構えた
その日、祖父は服部時計店の店長となった!


1932年6月10日から、今もなお時計塔は
時を刻み続けている。2032年6月10日まで
私は、亡き祖父(鈴木和一郎)の代わりに
時計塔を見守りたい、と思っている!!


父がまだ小学生だった頃、新宿の花園町の
自宅から、祖父は服部時計店のある銀座の
街に通った。祖父は、蝶ネクタイをし

父曰わく『おじいちゃん格好良かったよ!』
と、言っていた。

父は、日大に通う学生になり、軍隊から
徴集され、陸軍に入隊し戦地ロシアに行き

その後、ロシアで捕虜となり抑留された!


その父が、日本に帰還出来た時には、祖父は
既に他界していた。祖父もまた自ら志願し
軍隊に入って、軍隊での戦いで肉体を酷使、

後に病気をし1945年の12月に亡くなった!


その祖父亡き後も、銀座4丁目交差点では
現『和光』の時計塔が、時を刻み続けて
いる。祖父がいた場所で、銀座の街から

1分1秒、時を(1932年から)刻む…。


幼少時代、私は父から父のステンレスの
シルバーの腕時計を、細い腕にはめて貰い

手首で、ジャラジャラ音をさせながら時々
父と外出をしては、時計を見て父に時間を
教えてあげる、ということをしていた!?


もうすぐ『時の記念日』だ。今年は、
祖父が亡くなって、70年を迎える。


服部時計店の時計塔は、今年で83年である。


あと17年。日本の平和を願って止まない!









携帯電話が普及され、腕時計を手首にはめ
出歩いている人は、殆ど居ない。腕時計は

デジタル化し、針がチクチクと音を鳴らす
秒針の音が、世の中から聞けなくなった昨今。


音のする『時計』が懐かしく、愛しい!






























携帯電話の待受画面にある時計の出現で、
世の中から、腕時計が姿を消してしまう
現象が起きたが。 『東京オリンピック』
を前に、『ストップウォッチ』の普及と
共に、日本にまた

『服部セイコー』の腕時計が街じゅうに
チクチク音をさせ、姿を見せてくれたら
嬉しいな。日本の平和の象徴として!!


銀座和光・服部時計台ー東京建築遺産

時計塔の歴史 | 銀座・和光


2012年3月3日、銀座4丁目交差点。

私が母と、時計塔を観ている姿を見て
ハラスメントして来た人は、鈴木家の
成り済ましだった。

銀座、角松敏生の『あるがままに』の動画に
出ていた和光の時計塔を見て、祖父と角松の
間には、何かしらの関係があったのではない
かと、私が気づくキッカケになった時計塔!

私の成り済ましは、角松の『あるがままに』の
動画の中に出ていた、銀座4丁目の時計塔には
気がついていなかった。鈴木霄が、自身の
祖父を象徴する時計塔に(角松の動画から)
気づいたことにより、角松敏生の代表曲
『あるがままに』は、YouTubeから銀座の
街なみと映る、時計塔の姿を消した!


私が、銀座4丁目に姿を見せたことにより
鈴木家の親族に私が分かり、角松敏生の
動画から、銀座4丁目の時計塔が消えた!

祖父の孫娘が、私が本人だと断定出来た為に
角松の動画から、銀座の時計塔が消えた!


祖父(鈴木和一郎)が、天降りと言われて
いた存在だった為、祖父の孫である私が
実在している、と鈴木家で分かった為ー。

mixiチェック

↑このページのトップヘ